株主メッセージ
1981年私の父が40歳で亡くなり、母が川上鉄筋工業の代表になると同時に私は当時10歳の小学4年生でした。父は農家の後継ぎが嫌で地元の農業高校を中退し、高度成長期真っ最中、隣町の鉄筋工業所の門を叩き鉄筋工の職人として10年以上もの実務をこなし1級鉄筋技能士を取得して当時のサラリーマンの月給3~5倍以上もの稼ぎがあったようですが、信用も付き独立もし、仕事が途切れる事無く法人として立ち上げていく矢先の事だったと成人してから聞かされました。
お酒の飲めない父がいつしか飲めるようになってからは随分体調の方も大変だったことも良く聞かされました。そんな父を見ていた母は太郎は自営業よりサラリーマンで良いと思っていたようです。その母も2003年60歳で末期の癌になり、発見からわずか半年もの速さでこの世を去っていきました。それと同時に川上鉄筋工業は廃業し、悔しさと、母の思いとが入り混じり、それでもいつか起業出来る人間になりたいと強く思い5年程は自分に無いものを広く吸収したいと心に決めて活動してきました。
当時は内装業界にいたので店舗運営、立地開発などの施工とは別のノウハウが知りたく実際に物販でしたが、店舗も設けて運営してみたり飲食はどうだろう?と飲食店も本部へ入り肌で感じることが出来ました。
しかし私のゴールは店舗運営は通過点でもっと専門家よりの底辺から取り組みたいと思い、土地から建物、仲介、売買、テナント誘致、内装、又はリフォームな どお客様から見てあらゆる角度から対応できる会社があったらどうだろう?と考え、各専門に特化したプロ集団の窓口をコーディネート出来る企業にしたいと決 意しました。
そして何よりお客様が本物に出会えて幸せになれたら私達も満足行く結果になる。そうなることが私のゴールだと思っています。